おととい稽古 きのうリハ 今日本番
二公演まとめてお稽古すると 見えてくるもの なお多し。
以前のメンバーも加わったチームは 硬さが目立つ。頑張りすぎ ちからが入りすぎ。個人のパフォーマンスになって ひとつにまとまらない。
二年間 人の上に立っていたひとは 責任感つよく タフになって……不測の事態にも対応できるほど……いたが 震えるような細やかな感受性は喪っていた。得るものと失うものは等価だが わかってはいるが さみしさはある。
わたしだっておなじこと。人の上に立つ 命じる立場に立つ。語りにおいても 脚本を書き キャスティングをし 演出もするようになれば 振る舞いも声も 根底のなにかも変わらざるを得ない。
始めた当初の瑞々しさは 求めるべくもない。ー が 代わりに勝ち得たものもある。不屈の意思とか 決断の早さとか。
ながらく 封印していたものがたりを語った。広島で原爆の落ちたあの日 似の島に行く途中 船のなかで亡くなった少女のものがたり。しばらく 若手に委せておいたものがたり。昔 見えなかった 景色 が見えた。昔 泣かなかったのに 壊れた家 や 燃えている家を見て 泣きそうになり 少女が死ぬシーンでは 涙を 抑えられなかった。
聴くひとに何が見えるかはわからないけれど。
同じテキストをつかって語っても 語り手で ものがたりは異なる。うちのユニットは公演ごとに配役を代えるのだが 語り手によって 立ちのぼるものも違うし 見えるもの 感じるものも違う。寒さ 冷たさ などの感覚がつたわるひともいれば 風景が シーンによって見えるひともいる。文字が見えてしまうひともいる。語り手のあったかさとか語りて自身が伝わるひともいる。そのひとの軸 立ち位置次第なのだ。
どこへ 持っていっても 質の高いものを手渡す そのために 日々 努力はしているが 畢竟 生き方の問題 来し方のトラウマ 各自の人生の問題と 語りは蜜月である。覚醒しかない。あしたの 本番 は どうであろう。眠れぬ夜である。
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